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2016年5月 9日 (月)

(668)電子書籍で読むことと、紙の本で読むこと。

(668)電子書籍で読むことと、紙の本で読むこと。

P1060558数カ月前から、個人情報管理について、とくにスケジュール管理について、まとまった話を年齢の若い友人にしています。

「人に話をするのだから、この際、自分でも個人情報管理のことを全般的に復習しておこう」と考えて、梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』や、野口悠紀雄先生の『「超」整理法』を読み返しました。

『知的生産の技術』は、今まで何回となく読み返していて、今回が10回目くらいの通読になると思います。
どうせ何回も読み返すのだからいつでもどこでも読めるようにと、本を裁断しPDFにしてタブレット端末に入れてあります。
P1060548_2
当初、タブレット端末に入っている電子書籍の形で読み始めたのですが、どうも内容がアタマに入りにくいと感じました。
読んでいても、本の内容がクリアにアタマに入ってこないで、ベールに包まれたような感じでぼんやりとしか把握できません。
なんだか、自分の頭が悪くなったみたいな感じがしていました。

「電子書籍じゃあ読みにくいなぁ、、」と感じて、早々に紙の本に切り替えて読み進めました。
紙の本で読むと、とくに頭が悪くなったようには感じませんでした。

『知的生産の技術』に続いて、『「超」整理法』→『続「超」整理法・時間編』→『「超」整理法3』と読み進めました。

ところで、精読するときの私の本の読み方は、太い芯の鉛筆とか赤鉛筆で文を線で囲ったり、傍線を引いたりしながら読み進めます。書き込みもけっこうします。そして、通読し終わってから、重要なところを200LXに書き抜いたり、自分の考えを付け加えて書き込んだりしています。(「読書ノート」ということです)

こういう読み方は、『知的生産の技術』の107ページから112ページに書いてある方法と同じです。(いや、『知的生産の技術』に影響されて、このような読み方になったような気がします)(でも、50年も昔のことなので定かではありません)

ところが、電子書籍の形で本を読む場合は、紙の本と違って、傍線を引いたり、文を線で囲ったり、書き込みをしたりするのがとても難しくなります。そのために本の内容がアタマに入りにくいのだろうと思います。

もうひとつ、電子書籍で読みにくいことがあります。パラパラとページをめくることができないのです。
紙の本の場合、一度通読したあとで、ランダムアクセスのように重要なところだけを飛ばし読みすることができます。
電子書籍の場合は、ランダムアクセスではなくシーケンシャルアクセス的に、連続してでしか読むことができません。

それで、マンガとか小説のように、シーケンシャルアクセス的に読んでいく内容なら、電子書籍がけっこう適しているのだと思います。

他方、内容が構造的になっている本の場合は、必ずしてもシーケンシャル的に読むとは限りません。内容の立体構造のようなものをアタマの中に構築しながら、本を読んでいくことが多いように思います。

今回、『知的生産の技術』を読み返したことで、電子書籍の得意分野と、紙の本の得意分野を再認識しました。

P1060543_2ところで、数日前に日経新聞に、「デジタル教科書20年度に」という記事が載っていました。
上での考察したように、小説のようなものは電子書籍でも読めますが、教科書のような内容が構造的な本は電子書籍に適していないと思います。

そういうことでは、教科書がデジタル化されると、低学力化に拍車がかかるのではないかと心配になります。

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