無料ブログはココログ

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月10日 (火)

(669)恐怖の「一生時計」(野口悠紀雄)を200LX上で作ってみる。

(669)恐怖の「一生時計」(野口悠紀雄)を200LX上で作ってみる。

P1060558『知的生産の技術』→『「超」整理法』→『続「超」整理法・時間編』→『「超」整理法3』と読み進めたことを前項でお話しました。

年齢の若い友人は、私と違ってスマートフォンをよく使っています。しかし、勤務先で日常的には使えないらしく、スケジュール管理は紙の手帳(『7つの習慣 入門手帳』フランクリンプランナー)http://www.franklinplanner.co.jp/shopping/boundnotebook/note_7h_kdkw.htmlを使い始めました。とてもよい選択だと思っています。

P1060638しかし、もしスマートフォンを使うことができる状況なら、クラウドのシステムを活用した「個人情報システム」も合理的かもしれません。
そういうことも考えながら、野口悠紀雄先生の『クラウド「超」仕事法』も再読しました。

今回は、『クラウド「超」仕事法』の中の「恐怖の一生時計」(笑)についてお話しようと思います。

P1060621野口先生のいう「一生時計」というのは、人生を80年としたときに一周が80歳となる時計上で、自分の人生がどこまで来たかを確認しようという主旨です。(野口先生の別の本でも、この「一生時計」を見かけたことがあります)

野口先生の場合、時計の針でいえば22時半の位置にまで進んでいるとのことです。野口先生は、「残された時間を有効に使うために、この時計を毎日見ようと思う」と書いています。(野口先生は、私よりもおおよそ10歳年長です)

Jinseiさて、同様の「一生時計」は、HP200LX上のlotus123の円グラフで簡単に表示できますので、私も作ってみました。

私は、lotus123上に大ざっぱなライフプランニングシートを作ってあります。
自分の年齢と家族の年齢が一覧できて、毎年の大きな出来事を書き込んである表です。
ファイナンシャルプランナーが作るライフプランニングシートは横長のようですが、私の場合は縦長に作ってあります。
この表には、金銭的なことは書き込んでなくて、自分が何歳のときに家族が何歳になっているかを認識できるように作ってあります。

すでに作ってあるライフプランニングシートを、もっとずっと簡略化して、私の今までの人生を7つに区分して円グラフで表示することにしました。私の一生は、80年ではなく90年にしました。

Jinsei2私の7つの区分というのは、「就学前」「学生時代」「大学に勤務していた時代」「民間に勤務していた時代」「個人事務所の時代」「事務所を法人化した時代」「今後、死ぬまでの年数」です。

円グラフをよく見てみても、「恐怖」は感じません。
それよりも、「死ぬまでにまだ25年もあるのかぁ、、」と思います。

この円グラフを見ると、学生時代がだいたい1/4です。現在から死ぬまでの期間もだいたい1/4です。
そのほかの約半分の人生が、いままでの仕事と就学前の期間になっています。

自分の「一生時計」を見て考えることは、「もし今の時点で仕事を辞めてリタイアしちゃったら、することがなくなっちゃうなぁ、、」ということです。

金銭的には、今までの蓄財と支給される年金とで、今までと同じように生活できるのですが、することがなくて退屈しちゃいます。たぶん、アタマもボケるでしょうし、肉体的にも急速に衰えるだろうと思います。それは想像するだけでもつまらない人生です。

「一生時計」を見てまず考えるのは、今後の人生のことです。
今後も、できる限り仕事を続けていこう」と考えます。また、「家族をいっそう大事にしていこう」と考えます。

今後の遊びのことでは、カラダの続く限り武道の稽古を続けていこう、ピアノの練習もずっと続けていこう、読書などの勉強も続けよう、旅行などの遊びも継続していこうと考えます。

つまり、いまの生活がまぁまぁベストの状態なので、できる限り維持していこうということです。

そういうことでは、一生時計の円グラフを作ることで、いままでの人生を俯瞰して、これからの人生も考えてみるというのも面白いかと思います。

(追記)「一生時計」の図を見かけたのは、野口先生の書籍ではなく、インターネットのサイトだったのかもしれません。

Googleで変わった――「超」整理手帳と野口悠紀雄のクラウド仕事法 (2/2)http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/1111/29/news005_2.html に掲載されています。

(追記2)一生時計を90年にしてある理由をちょっと書いておきます。

現在の日本の男の平均余命は約76年ですが、これは0歳の赤ちゃんの平均余命です。
すでに60歳になっている人だと、だいたい80年くらいです(詳しいデータは厚生労働省のホームページにあると思います)。私の場合、たぶん、平均余命は85年くらいになると考えています。

一般的に、健康に生活している人の寿命は長いです。適切な食餌をとって、適切な運動を続けて、精神的な成長を維持して、家族愛に恵まれて心の平和を保っている場合、寿命は長くなります(これはいろんな実験で証明されています)。
そういうことで、自分の場合は90年くらいかなぁ、、、と思っているのです。
資産としては、100歳くらいまで生きたとしても枯渇しない程度の蓄えが必要だろうと考えています。

2016年5月 9日 (月)

(668)電子書籍で読むことと、紙の本で読むこと。

(668)電子書籍で読むことと、紙の本で読むこと。

P1060558数カ月前から、個人情報管理について、とくにスケジュール管理について、まとまった話を年齢の若い友人にしています。

「人に話をするのだから、この際、自分でも個人情報管理のことを全般的に復習しておこう」と考えて、梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』や、野口悠紀雄先生の『「超」整理法』を読み返しました。

『知的生産の技術』は、今まで何回となく読み返していて、今回が10回目くらいの通読になると思います。
どうせ何回も読み返すのだからいつでもどこでも読めるようにと、本を裁断しPDFにしてタブレット端末に入れてあります。
P1060548_2
当初、タブレット端末に入っている電子書籍の形で読み始めたのですが、どうも内容がアタマに入りにくいと感じました。
読んでいても、本の内容がクリアにアタマに入ってこないで、ベールに包まれたような感じでぼんやりとしか把握できません。
なんだか、自分の頭が悪くなったみたいな感じがしていました。

「電子書籍じゃあ読みにくいなぁ、、」と感じて、早々に紙の本に切り替えて読み進めました。
紙の本で読むと、とくに頭が悪くなったようには感じませんでした。

『知的生産の技術』に続いて、『「超」整理法』→『続「超」整理法・時間編』→『「超」整理法3』と読み進めました。

ところで、精読するときの私の本の読み方は、太い芯の鉛筆とか赤鉛筆で文を線で囲ったり、傍線を引いたりしながら読み進めます。書き込みもけっこうします。そして、通読し終わってから、重要なところを200LXに書き抜いたり、自分の考えを付け加えて書き込んだりしています。(「読書ノート」ということです)

こういう読み方は、『知的生産の技術』の107ページから112ページに書いてある方法と同じです。(いや、『知的生産の技術』に影響されて、このような読み方になったような気がします)(でも、50年も昔のことなので定かではありません)

ところが、電子書籍の形で本を読む場合は、紙の本と違って、傍線を引いたり、文を線で囲ったり、書き込みをしたりするのがとても難しくなります。そのために本の内容がアタマに入りにくいのだろうと思います。

もうひとつ、電子書籍で読みにくいことがあります。パラパラとページをめくることができないのです。
紙の本の場合、一度通読したあとで、ランダムアクセスのように重要なところだけを飛ばし読みすることができます。
電子書籍の場合は、ランダムアクセスではなくシーケンシャルアクセス的に、連続してでしか読むことができません。

それで、マンガとか小説のように、シーケンシャルアクセス的に読んでいく内容なら、電子書籍がけっこう適しているのだと思います。

他方、内容が構造的になっている本の場合は、必ずしてもシーケンシャル的に読むとは限りません。内容の立体構造のようなものをアタマの中に構築しながら、本を読んでいくことが多いように思います。

今回、『知的生産の技術』を読み返したことで、電子書籍の得意分野と、紙の本の得意分野を再認識しました。

P1060543_2ところで、数日前に日経新聞に、「デジタル教科書20年度に」という記事が載っていました。
上での考察したように、小説のようなものは電子書籍でも読めますが、教科書のような内容が構造的な本は電子書籍に適していないと思います。

そういうことでは、教科書がデジタル化されると、低学力化に拍車がかかるのではないかと心配になります。

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »